【タロウ(30代前半男性)の声】 若者の本音(2023年10月) 

引きこもりの人を例えるならば、それは静止している鉄球。その鉄球の重さは人それぞれなので、引きこもりの人へのアプローチの仕方は、個人に合せて、カスタマイズ(最適化)される必要があります。ただし、重い鉄球が静止している状態に変わりはないので、その鉄球が動き始めるときに、多くの場合、その鉄球を動かすために誰かが押してあげることが必要なのではないかと思っています。

私は引きこもり経験があります。振り返ると、大学合格まではほぼ順調で、経済的な制約で何かを断念させられることはありませんでした。塾やサッカー、水泳も楽しんでいました。

しかし、20歳の頃に初めて引きこもりの経験をしました。大学寮内で門限を破る、掃除をサボるといった問題行動により、大学寮を追い出されました。一時大学を休んだ影響で、サッカー部も辞めてしまいました。サッカー自体は好きでしたが、プレーヤーとしてはもういいかなと思い、サッカーコーチを始めました。教えていたのは、小学校低学年から次第に高学年も指導するようになりました。大学に通いながら、授業が終われば、夕方はサッカー練習という日々で、とても充実していました。

卒業後、社会人となってからもサッカーコーチを続けました。しかしながら、体調の悪化で職場を辞め、理学療法士の学校へ入学。身体についての知識を学び、サッカー指導にも活かしました。理学療法士となれば、いい人生を送ることができる。漠然とそのように考えていました。

しかし、学校での友人関係や実習のストレス、さらにはコロナ禍で学校から行動制限、厳しいソーシャルディスタンスの要求、マスクはするのが当たり前、そんな息苦しさも相まって、本来3年間で卒業予定でしたが、最後あと1年というところで精神的に不安定な状態に陥りました。精神科入院を経て、退院後は学校への復帰を目指しましたが、結局復学することはできませんでした。家族との関係も悪化しました。

引きこもりの期間中、死を考えたこともありました。その後、何とか立ち直り、新たな道を模索し始めました。

まずは、生活リズムを取り戻そうとしました。朝日を浴びることで睡眠が改善することを知り、少しずつ、外へ出ることに慣れていこうとしました。また、立ち直れたのは家族のサポートのおかげでもありました。食事のときは、一緒に食べるように促してもらったり、顔も合わせるのが嫌なときは、部屋まで運んでもらったりしました。いま考えると、結構追い込まれていたのだと思います。

八おき塾(福岡わかもの就労支援プロジェクト)に入って、コーチ・受講生のみんなとおなじ時間を過ごし、自分の強みがわかりました。もちろん弱い部分の再認識もしました。ただ、弱みは強みだし、強みはときにマイナスに働くことがあって、要は見方次第、表現の仕方次第、捉え方次第だということが少しずつわかってきました。

八おき塾に通い、さあ何かしようとなって、最初にしたことは、フリースクール探しでした。わたしは職場に行けなくなったり、大学に行けなくなったりした経験をしました。学校に行けなかったり、行かなかったり、する子どもたちは、たぶん、つらいことがあったのだろう。でも、実際、見てみないとわからないし、その子どもたちの声を聞いてみないとほんとうのことはわからない。そう思って、福岡市のフリースクール「みんなの学び館」でボランティア募集を見つけ、webから応募しました。すると、校長先生から電話があって、面談をしに行きました。色々お話させてもらい、週1回のペースでフリースクールで学習サポート、それから学校のお昼休みの時間帯に体育館を借りて行う、「体育」へも参加。さらに、午後二時からは放課後となっていて、放課後デイサービスの時間となります。放課後は、子どもたちと、公園に出かけ、サッカーを一緒にしたり、室内で麻雀(注:賭け麻雀ではありません)をしたりしています。

今は、保育士資格を取りたいと考えるようになり、テキストを買って、勉強をはじめました。さらに、つい最近の出来事ですが、フリースクールの校長先生から低学年指導をお願いされ、時間限定で雇ってもらうことになりました。仕事を任せてもらえたことは嬉しいです。人の役に立ちたい、との思いが叶います。これからも変わらず、子どもファーストで寄り添いながら、「弱みは見方次第で、強みにもなるんだよ」ということがじんわり子どもたちに伝わってくれればいいなと思います。伝えられる機会があれば、言葉にして伝えてみようと思います。

引きこもりの人が立ち直るのに要する時間は人それぞれ違うと思います。その人が再び動き始めるまで、気持ちを聞いたり、ときには、どこか遠くに連れ出したり、なんでもいいから、押したり、引いたりしながら、引きこもってしまった人に関わり続ける。声をかけ続ける。それ以上に声を聞き続ける。でも心を一度閉ざした人は、「どうせ、なに言っても無駄でしょ」ってモードなんです。なんの返答も無い可能性が高いです。それでも粘り強く、いつか引きこもりは卒業できるし、また元気になる、そう信じ、ドアをノックし続けることが大切なんだと思います。

ここからは、時系列に沿って回復の過程を思い出しながら書いてみます。
入塾。まもなく福大病院に入院。この入院は、研究参加したい、という自分の意思で、入院しました。この入院では運動療法を行い、その効果を測定するための入院でした。入院中は良かったり、悪かったりの繰り返しでした。
退院後、八おき塾に週3回のペースで通い始めました。八おき塾は10時15分から始まります。その時間に合わせて、逆算し、朝起床します。生活リズムが乱れていた私にとって、決まった時間に起きて、出かけることは、当初難しく、コーチに起こしに来てもらうこともありました。
八おき塾でも、素の自分をはじめは隠し、必要以上に気を利かせようとし、頑張りすぎていました。慣れてくると、その気負いもなくなり、自然体で振る舞うことができるようになりました。
八おき塾で出荷のための宛名書きをしたり、昼食を自分たちで、つくって、食べて、後片付けまで行うことで、できることが少しずつ増えていく感覚は、自分自身に自信をつけさせてくれました。
減薬にも取り組みました。わたしは20歳ころメンタルクリニックを初めて受診し、そこから長い間、薬を飲み続けていました。八おき塾に通い始めてから、薬を飲む必要がないことに気づき、少しずつ薬の量を減らしてきました。いま半減させるところまできました。薬をゼロにするのが、減薬のゴールです。それに向けて、今も減薬を続けています。薬なしで健康的に暮らせるようにしたいです。
八おき塾では定期的に面談を行います。僕は、病院のカウンセリングが少し苦手です。ずっと質問されるからです。カウンセラーは、自身のことをほとんど喋ってくれません。すると、こちらばかりがたくさん話すことになり、不自然さを感じてしまいます。それに比べて、八おき塾の面談は、お互い話すので、結構自然体に近い形で、本音を言えるようになってきます。
八おき塾に通い始め、色々始めました。家庭教師、フリースクールボランティア、サッカースクールコーチ、総合キッズスポーツスクール、放課後児童クラブ。
引きこもりだった自分が、ここまで、回復したのは、八おき塾のコーチをはじめ、色んな方の支えがあったからです。応援してもらってるという感覚があったので、頑張れたのだと思います。また、頑張りすぎていたり、一気に色んなことに手を出そうとしているときは、やることを絞るよう助言してもらうこともありました。

八おき塾は、わたしにとって第二の実家です。喜びは二倍、悲しみは半分、そんな場所に出会えて、良かったです。わたしはこの第二の実家を拠点に色々動き始めました。前へ進んでいる感覚があります。
卒業後も、みなさん、お世話になります。これまで父母はじめ、色んな方に支えてもらいました。これからは支える側にもなれるようにもっともっと成長します。

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