【誠(10代後半男性)の声】 八おき塾3ヶ月間の変化(2022年6月) 

今、私は週に3日学習塾に通っていて、高校生と一緒に高校の内容を一から学びなおしています。

私は、学校に行けていた高校1年生の12月ぐらいまでは、何不自由ない学校生活を送っていました。先生や友達に頼られたことは全部やってきて、部活動も誰よりも全力で取り組んでいて、周りのみんなからも信頼されていました。しかし、その内、頼まれることや、部活動でも重要な事をまかされることが多くなり、自分が二人いても回らないくらいのタスクを与えられるようになりました。その頃から頼まれたことができなくなってきて、体が疲れすぎて倒れてしまいました。
倒れて病院に着いた時「これでやっと休める」と思いました。時間が経つにつれて、「部活動に戻らないとみんなが困る」と思い学校に戻りましたが、学校に着くとなぜか体がうまく動かなくなり、また倒れました。それが何度も続き、しだいに学校にも行かなくなりました。その時は「学校に行きたいけど、なぜか倒れて行けない」と心の底から思い、辛かったです。
学校に行けないまま月日が流れ、しだいに友人からもとにかく「いないもの」として扱われました。少し前までは向こうから話しかけてきたのに、自分から話しかけても無視されたりしました。高2の夏「これ以上休んだら単位が足りず留年になる」と言われ、通信高校に転校することにしました。最初の方は学校に行ってたのですが、結局ほとんど行けず家に引きこもるようになり、精神科では「うつ状態」にあると診断されました。

そして、高校を卒業する頃に、「このままじゃ本当にどこにも自分が行く場所がなくなってしまう」と思うようになりました。そんな時に、母から「八おき塾ってとこがあるから行ってみたら」と言われて八おき塾での相談会に行くことにしました。その頃の自分は、間違いなく人生でもっとも最悪の所にいて、人と目も合わせられないし話すこともまともにできなかったし、怖くて家の外に一人で出ることができませんでした。最初に説明を聞きに行った時、自分の居場所は欲しい、しかし、自分と向き合うのが怖くて、通わないつもりでした。それからいっときして、前に通っていた全日制高校の卒業式の日になり久しぶりに学校に行きました。学校を見た時、普通の高校生活を9ヶ月しか送れていない、なのに、気づいたらもう高校生活は終わり、同級生たちは自分と同じ場所にいたのに、いつの間にかものすごく離れた存在なっていました。自分は、それがとてつもなく悔しかったです。その時に「もう一度頑張って、みんなに少しでも追いつきたい」と思い八おき塾に通うようになりました。

八おき塾に入って、最初に「自分が半年後どうなっていたいか」について考えました。いろいろ考えた結果「勉強して他の子と同じくらい選択肢を持ちたい」「子どもの頃の夢に向かって歩きたい」と思いました。
しかし、高校の内容を全く理解していませんでした。なので、次にしたことは「学習塾探し」です。探し始めた時は、人が怖くて、なかなか電話ができないことに落ち込んでいました。ですが、鳥巣さんから「悔しがるのではなく、一度にやろうとせずいくつかに分けてやってみるといいよ」とアドバイスをもらいました。そこで、まずは調べることだけをして、次に電話で話す内容を紙に書いてみました。そしたら、しっかりと準備したことを話すだけだったので、簡単に話すことができました。高校を卒業しているのに、高校の内容を初めから教えてくれる塾は全くありませんでした。それでも諦めずに、いろんな塾に相談しに行きました。すると、自分の事をわかってくれる塾を見つけることができました。その時、自分は「2年間でやっと前に進むことができた」と思いました。
しかし、もう一つ問題があって、何かをやり始めると全力で取り組みすぎてすぐにやめてしまう事です。そこで、鳥巣さんに「勉強時間を増やしていく計画表を作ってみたら」とアドバイスをもらい、自分にあまり負担のかからない計画表を作りました。そして、毎日達成したかどうかチェックを入れて、ちゃんと毎日少しずつ勉強するようになりました。最初の方は調子のいい日と悪い日ですごく差がありました。しかし、最近はその差もあまりなくなり、毎日一定量勉強できるようになりました。そのおかげで、今日まで勉強を続けることができています。

まだ、調子が良かったり悪かったりしますが、入塾する前と比べて体調が良くなったのは、誰が見てもわかると思います。少しずつやれることを増やしていって、うまくいく事もいかない事も楽しみながら、努力していきたいです。

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