【真司(20代後半男性)の声】そこに不登校を支える僕がいた(2021年5月) 

現在、僕は母校の高等専修学校(元通信制高校)で非常勤講師として保健体育、数学、英語を教えています。教師になる夢を叶えたことに達成感を感じています。しかし生徒たちとの関わりで難しさをも感じています。当然ですが一人ひとりの個性が違うので、自分が思う生徒への関わり方が全員にとって適切ではないと感じています。個性に応じた接し方を、失敗を通して学んでいます。ただ、僕自身の辛かった経験が今の教師生活を支えてくれているのは確かなことです。この学校には不登校の生徒がたくさん通学しますが、辛い思いをした経験をある一人の生徒に話すと、心を開いてくれました。あの時の辛い経験が役に立って良かったと、心の底から思います。

過去をさかのぼると2011年11月、高校2年生だった僕は不登校(ひきこもり)になりました。不登校になった後、布団に入ってゲーム三昧、昼夜逆転の生活をまるまる1か月過ごし精神科に通院し始めました。薬の副作用で頭が回らなくなり、とても苦しかったです。友達とも連絡をしなくなり、劣等感と孤独感を抱えていました。そのような状態で1年と4か月の不登校期間を経て、母の勧めた通信制高校に編入しました。薬を飲みながら、人との関わりに不安感を抱きつつ登校する毎日を過ごしました。途中で4か月不登校になりましたが、2年間でなんとか卒業しました。今思うととにかく優しい高校でした。自分のペースを尊重してくれ、公立学校のように厳しいルールがあるわけでもなく、自由な校風でした。また、体調大丈夫?と気遣ってくれる先生がいて安心感を覚えました。更に、自分と似たような傷を負った人が沢山いました。仲間が増えて少し元気を取り戻した自分がいました。

その後短大に入学し、再び人間関係で上手くいかず、6か月不登校になりました。3度目の不登校(ひきこもり)を味わい今度こそ本気で何もかもが嫌になり“死にたい”と思う事がありました。そんなことを考えていると無意識に父親への憎悪感が増し、僕は家庭内暴力に走りました。“なぜ、こんなに苦しんでるのに本気で向き合ってくれない?“と思っていました。言葉で表現する方法を知らなかった僕は父親の顔面をひたすら拳で殴りつづけ、結果的に警察に連れていかれ精神病院に入院する一歩手前までいきました。
幸運にもその頃、僕は福岡わかもの就労支援プロジェクトに通っていました。コーチングを受け“自立がしたい”ことに気付きました。“短大を卒業すること”という目標を掲げ、一人暮らしを始めました。自分の人生を見つめ、そして“不登校(ひきこもり)の生徒を元気にする仕事がしたい”と思うようになりました。その後、教員免許の取得のため愛知県内の大学3年次に編入しました。2年間で卒業し晴れて中学・高校教諭一種免許状(保健体育)を取得しました。

不登校だった僕が今度は不登校を支える立場にいる。生徒を一人ずつ確実に元気にしていく、そんな教師になります!
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